哲学の詭弁。

砂山のパラドックスという思考実験がある。

砂山から数粒砂を取り去っても砂山のままだが、その行程を何度も繰り返し、残り一粒となった砂も、砂山と呼べるか?という内容の物である。

 

しかし、この思考実験は正当だと言えるだろうか?

例えば50度のお湯で想像してみてほしい。

50度から5度下げて45度にしてもまだお湯だが、その行程を繰り返し0度になった水はお湯とは呼べないだろう。

そもそも、50度から5度下げる状態と、30度から5度下げる状態を同一視しているのがおかしい。

違う状態の物から同じ数値を取り除いても両者は同一の状態ではないのは当たり前だろう。50度と30度では元々の数値が違う状態なのだから。

 

この思考実験は砂山という言語の定義の曖昧さを問題としているらしいが、そもそも論として言語は人間の思想や見えてるものやらを記号化した物に過ぎないので明確な定義を求めるのもおかしな話だ。箱の中のカブトムシが共通の意味を持たないのと同じである。

 

なのに何故哲学者は定義に拘るのだろうか?

決めようと思えば、今からでも何g、何粒からが砂山だと決めることは可能だと言うのに。

根拠のない方が良い場合。

議論する時、根拠も無しに自分の意見を信ずる人を見ると、めんどくさい人だなと思ってしまう。

何故かというと、いくらその意見が間違ってると指摘した所で、その人は自分の中で根拠を補完してしまってるので、その意見自体その人にとって破綻はあり得ないからだ。

 

いくら僕が丁寧に説明しても破綻しないのであれば、僕のそれまでの説明は無意味な物となってしまうので、うざったい事この上ない。

 

しかし、タイトルに書いた通り、根拠のない意見の方が良いケースもある。

例えば、自分の長所なんかは、「根拠がないけどここが長所だ」と思っていたら破綻しないので落ち込む事がないだろう。

 

恋人の好きな部分なんかに関してもそうだ。

顔が好きなら老化によって変わってしまうかもしれない。性格が好きといっても回りの影響で変わることもあるだろう。

理由がのべれない方が長続きすると思う。

 

人に限らず、趣味や目標、将来の夢なんかも

根拠を持たない物というものは破綻しづらいので、モチベーションを長く維持する為にはかなり有効だと思う。

たまには考えないのも良いのかもしれない。

 

漫画と小説の違い。

 

小説を読んでると、「小説読むなんて偉い、私は漫画しか読まないのに」みたいに漫画を引き合いに出して、褒めて来る人がいる。

 

恐らくこういう人は、全く同じストーリーの漫画と小説があったとしても、小説を読んでる人の方を誉めるだろう。

 

小説と漫画の違いとはなんだろうか?

 

単純にみると、文字数と絵があるかないかの違いだろう。

そして、小説を誉める人は恐らく、文字を読むという行為を褒めているのだと思う。

 

しかし、文字自体は漫画にも存在するし、その違いと言えば、行動を絵で表現するか否かの問題だろう。

だとすると、漫画を読むことを偉くはないと定義してるこの人は、絵での表現が偉くはないと言ってることになる。

 

そうなってくると画家という存在も全く褒められた存在ではない事になるが、世間では偉大だと言われてる画家達は山ほどいるし、美術館で絵を見ることは一般的には小説を読む方面の部類に入るだろう。

 

結局、媒体に対するイメージ的な問題であって、漫画読むより小説読む方が偉いという価値観に合理的な理由は存在しないのだ。

書店や出版社がなくなってもいいという話

僕は漫画家や小説家を目指している立場だが、昔から書店や出版社は無くなってもいいと発言している。

これを言うと、勘違いした文系気取りの人間が、猛反発してくるが、僕は何も本を読むという文化が無くなってもいいと言っている訳ではない。

 

単純に、リアルに存在する書店が無くなっても、ネットで購入すればいいし、電子書籍とかだと購入後すぐ読めるから良いよねという話で、そうなると作家は出版社を通さなくても、作品を公開するサイトにダイレクトに投稿すれば良いから出版社の必要性も無くなるよねという訳である。

 

唯一リアル書店のメリットである宣伝としての機能も、InstagramTwitterなどのSNSや、本のレビューサイト、ネット書店、等での代替も可能だと僕は思う。

 

 

手塚賞を目指す。

 

僕には将来の夢が沢山ある。

まず第一に、漫画家になりたい。これは一番譲れない夢だ。

漫画家は日本のメディアとしてはかなり強いので、日本で漫画家として名前が売れれば、世界の漫画などとも争える土俵が既に出来上がってて夢がある。

 

小説家にもなりたい。

漫画のフキだしの中で表すとダラダラしてしまうような物も、小説は文字が多いこと前提なので、程ほどなら読者に読んでもらえる。

登場人物の心理描写をするにあたっても、小説ほど向いてる媒体はないと思う。

 

映画の脚本家になりたい。

映画は漫画や小説とは違い、少ない時間で楽しめるのが利点だと思う。

少ない時間で楽しめるということは、多くの人にでも観られやすいという事だ。

ストーリーが終わりきるまでオチを推理されにくいというのもメリットだろう。

これは出来ればハリウッドでも成し遂げたい。

 

他にも企業やゲームシナリオ、ウェブ作成、漫画家の学校をつくる。宇宙旅行。お笑いのコント脚本。ゲストでラジオ出演。

挙げだしたらきりがないほどやりたいことが山ほどある。

 

今は一番好きな漫画に熱中してるが、他の夢も死ぬまでに絶対叶えようと思う。(というより、僕の理想の漫画家になれれば他は芋づる式に成功すると思う)

 

そんなこんなで僕は今、新人漫画賞のなかで一番メジャーな手塚賞を目指している。

 

別にここを通らなくても他にも手段はあると思うが、単純に“手塚賞を受賞した”という肩書きが欲しい。

そして、手塚賞受賞という肩書きを得てから期間をなるべく開けずに、読みきり漫画を掲載できれば、それが戦略としてはベストだと思ったのである。

 

3Dプリンターを用いた建築界の今後を予測。

 

ロシアのモスクワ近郊で、建築材料費1万ドルの家が3Dプリンターにより建てられたという話。

さらに最近では一日で建てられた家が3万ドルで購入可能になったというニュースも耳にします。

(建築法の厳しい日本での普及はまだ先でしょうが)

 

これによって起こる今後の建築業界等の傾向を予測してみようと思います。

あくまで個人的な予測です。

 

まず、安価で短時間に家が建てられるようになれば、建築数が大幅に増えます。

3Dプリンターによる建築数が増えると、コストは更に安くなります。(最終的には土地代抜きで十万台での購入が可能になるかも?)

また、土地を貸すという事業も沢山増えると思います。

 

そうなれば人々は、家を建てるコストが安くなった分の浮いたお金で、デザイン性を重視するようになります。

そして、建築・インテリアデザイナーや引越し屋の仕事がかなり増えると思います。

別荘を持つ人なんかも増えそうですね。

(引越し屋に関しても、軽い荷物についてはレンタルドローンを用いた引越しになるかも?)

(あと、取り壊しも早くなるわけではないので、引越し自体は増えないという事もあるかも?)

 

あと、震災等の被害後の復興もかなり早くなると思います。

そもそも耐震実験がしやすくなって、どんな地震がきても平気な家も確立されるかもしれません。

 

しかし建築者の人等は仕事が減ってしまうかもしれません。

そうなれば、普通の建築のコストが膨大になることも考えられます。(そうなれば余計3Dプリンターの需要が高まるのだけども)

 

 

なんにせよ、日本での普及には建築法などによる安全面にまだ懸念が多いので時間はかかりそうだな、というイメージです。

りんご=赤い?

 

りんご=赤い

トマト=赤い

りんご=赤い=トマト

りんご=トマト

 

的な詭弁をよく見ます。

1+1=2=1分の2

みたいな感じでしょうか。

 

しかし最近疑問に感じたのが

りんご=赤い

というのが本当に正しいのか?という点です。

確かにりんごは赤いという色の要素が含まれていますが、赤ければりんごだという事ではありません。

つまり赤はりんごであるという一つの要素に過ぎないのです。

 

何が言いたいかというと、“りんごは赤い”というのは

“1+1=2”で例えると、2に1が含まれているってだけで、1=2ではありませんよね。って事なのです。

 

だからなんなんだという話でした。