草バンドチーム構想

 

 バンドには何故“控えの選手”がいないのだろう?

 

 ふと思った疑問である。

 

 野球やサッカーには控えの選手がいる。なので、一人が途中で辞めようが大した問題にはならない。

 だがバンドはどうだろう?

 例えば四人のバンドを組んでいたとして、一人抜けて3人になると継続は困難になるだろう。抜けたメンバーがドラムやボーカルだったりしたら最悪だ。

 穴を埋めるために一人募集するという作業は、物凄く労力が必要になるくせに、バンドでは方向性の違いや人間関係の問題で欠員が出る、ということは多々あるようだ。

 

 そこで僕が提案したいのが“草バンドチーム構想”である。

 

 ざっくり説明すると、初期メンバーを20人くらいあつめて、シフト制で曲をつくろう。という案だ。

 学校の軽音部との違いは、“全員が一つのバンド名で活動する”という大前提である。

 

 長々と書いても時間が勿体無いので、メリット・デメリットの方もざっくり説明したいと思う。

 

 【メリット】 

①欠員をすぐ補充できる

 

 20人も集めれば当然だろう。

 

②忙しい人でも活動維持が可能

 

 これはメンバーを募る際にも大きなメリットになると思う。

 社会人で仕事があって時間がとれないという人は多々いると思う。だがこの制度だと、一人が活動できない状況でもメンバー補充ができる。

 だから“バンドのに加入しても、途中で活動できなくなるかも”みたいに気を使う必要がなく、参加もしやすくなるというロジックである。

 

③色んなジャンルができる

 

 これは軽音部みたいな感じ。団体の中からジャンルが細分化される。方向性の違いが出にくいというメリットでもある。

 

④少ない活動でバンドの知名度が維持できる

 

 “一つのバンド名でやる”という前提はこの為だ。

 一人辺り、一ヶ月に一回の活動だとしても、チームとしては週に一回以上は活動してるように見える。

 

⑤メンバーが増えれば増えるほどシェア率がが上がる

 

 “知らない人がやってるバンドの曲”と“自分のチームが作った曲”を対比させてみても、断然後者のほうが曲を聞いてもらえやすい、というのが分かると思う。

 バンドのSNSアカウントをつくって曲を投稿すれば、メンバー内からリツイート等の共有機を使ってもらえる確率は高いだろう。

 

 これは自分に関わることなら興味を持ちやすい、という話に繋がるのだが、長くなりそうなので後日、別の記事で書こうと思う。

 

 【デメリット】

①金銭リターンがない

 

 爆発的に曲が売れれば別だが、そうではないとなるとやはり厳しい。

 

 まあ草野球チームみたく、お金儲けの為ではなくて野球をする場をつくる、といった感じにするために“草バンドチーム構想”という名前にした。

 しかし、シェア度より実力の方が重要視される野球チームよりは、シェアが広がるという点で金儲けに繋がりやすいと思う。

 

 だが金銭を得るというより、知名度を得てから後の音楽活動をしやすくなると考えた方が良いだろう。(AKB48から卒業者がでるのに似てる)

 

②幽霊メンバーが出てくる

 

 たぶん、“自分がやらなくても他の人がやってくれるだろう”と考えるメンバーが出てくると思う。

 気にならなくくらいメンバーを増やすか、リーダーが仕切って、上手く配役するかで回避しよう。

 

 

 

 大体こんな感じだろうか。他にもメリット・デメリットはまだあると思うので、思い付き次第追加していこうと思う。

  

バイトを飛ぶことを奨める理由。

 TwitterなどのSNSで、仕事やバイト先の愚痴を常々書いている人を見ると、どうしてやめないんだろう?と疑問に思う。

 

 彼らは常々「やめたい」とツイートしているのに、行動には移さない。何故だろう?

 僕は今まで三回バイトを辞めているが、どれも正規の手順で辞めたものはない。所謂バックレというやつだ。

 僕はバックレという行為を正当化する気はないが、全く悪いことをしてるとも思わないし、それによって困ったことは一度もない。

 

 何故僕がバックレという選択を取るかというと、そもそもバイトを辞めたいと思うことは、計画的ではなく、衝動的な欲求だからだ。

 バイトを正規で辞めるには、一ヶ月前に申告しなければならないという糞ルールがある。つまり、辞めたいという衝動的な欲求が現れてから一ヶ月、我慢して働かなくてはならないということだ。

 こんなバカげた話はない。辞めたいと思いながらやる仕事など、時間の無駄でしかないだろう。

 

 だからといって、バイトをバックレると店に迷惑がかかるから、という批判もある。

そう考える人はそれでいい。迷惑をかけるのが悪だという考えは、集団主義における倫理においては正しいのかもしれない。

 だが僕は、そんなことで時間を無駄にするのは非合理かつ、非効率の塊だと思うし、そもそもバイトは生きるための手段だという観念を持っているので、その手段に深く感情移入することは、最も大切な目的へ向かうための弊害になると考えている。

 

 そもそもバックレが不法行為だ、という反論もあるだろう。そんな人にはチェーン店で働くことをオススメする。

 店がバイトに求めるものは、多くの場合は金銭的価値でなく、労働力だ。不法行為だといって、労働者を起訴しても、何十万の損害賠償が得られるだけで、その労働力は戻ってはこない。

 だから、ある程度資金のあるチェーン店で働けば、損害賠償のために起訴するなどという事は殆どないはずだ。

 

哲学の詭弁。

砂山のパラドックスという思考実験がある。

砂山から数粒砂を取り去っても砂山のままだが、その行程を何度も繰り返し、残り一粒となった砂も、砂山と呼べるか?という内容の物である。

 

しかし、この思考実験は正当だと言えるだろうか?

例えば50度のお湯で想像してみてほしい。

50度から5度下げて45度にしてもまだお湯だが、その行程を繰り返し0度になった水はお湯とは呼べないだろう。

そもそも、50度から5度下げる状態と、30度から5度下げる状態を同一視しているのがおかしい。

違う状態の物から同じ数値を取り除いても両者は同一の状態ではないのは当たり前だろう。50度と30度では元々の数値が違う状態なのだから。

 

この思考実験は砂山という言語の定義の曖昧さを問題としているらしいが、そもそも論として言語は人間の思想や見えてるものやらを記号化した物に過ぎないので明確な定義を求めるのもおかしな話だ。箱の中のカブトムシが共通の意味を持たないのと同じである。

 

なのに何故哲学者は定義に拘るのだろうか?

決めようと思えば、今からでも何g、何粒からが砂山だと決めることは可能だと言うのに。

根拠のない方が良い場合。

議論する時、根拠も無しに自分の意見を信ずる人を見ると、めんどくさい人だなと思ってしまう。

何故かというと、いくらその意見が間違ってると指摘した所で、その人は自分の中で根拠を補完してしまってるので、その意見自体その人にとって破綻はあり得ないからだ。

 

いくら僕が丁寧に説明しても破綻しないのであれば、僕のそれまでの説明は無意味な物となってしまうので、うざったい事この上ない。

 

しかし、タイトルに書いた通り、根拠のない意見の方が良いケースもある。

例えば、自分の長所なんかは、「根拠がないけどここが長所だ」と思っていたら破綻しないので落ち込む事がないだろう。

 

恋人の好きな部分なんかに関してもそうだ。

顔が好きなら老化によって変わってしまうかもしれない。性格が好きといっても回りの影響で変わることもあるだろう。

理由がのべれない方が長続きすると思う。

 

人に限らず、趣味や目標、将来の夢なんかも

根拠を持たない物というものは破綻しづらいので、モチベーションを長く維持する為にはかなり有効だと思う。

たまには考えないのも良いのかもしれない。

 

漫画と小説の違い。

 

小説を読んでると、「小説読むなんて偉い、私は漫画しか読まないのに」みたいに漫画を引き合いに出して、褒めて来る人がいる。

 

恐らくこういう人は、全く同じストーリーの漫画と小説があったとしても、小説を読んでる人の方を誉めるだろう。

 

小説と漫画の違いとはなんだろうか?

 

単純にみると、文字数と絵があるかないかの違いだろう。

そして、小説を誉める人は恐らく、文字を読むという行為を褒めているのだと思う。

 

しかし、文字自体は漫画にも存在するし、その違いと言えば、行動を絵で表現するか否かの問題だろう。

だとすると、漫画を読むことを偉くはないと定義してるこの人は、絵での表現が偉くはないと言ってることになる。

 

そうなってくると画家という存在も全く褒められた存在ではない事になるが、世間では偉大だと言われてる画家達は山ほどいるし、美術館で絵を見ることは一般的には小説を読む方面の部類に入るだろう。

 

結局、媒体に対するイメージ的な問題であって、漫画読むより小説読む方が偉いという価値観に合理的な理由は存在しないのだ。

書店や出版社がなくなってもいいという話

僕は漫画家や小説家を目指している立場だが、昔から書店や出版社は無くなってもいいと発言している。

これを言うと、勘違いした文系気取りの人間が、猛反発してくるが、僕は何も本を読むという文化が無くなってもいいと言っている訳ではない。

 

単純に、リアルに存在する書店が無くなっても、ネットで購入すればいいし、電子書籍とかだと購入後すぐ読めるから良いよねという話で、そうなると作家は出版社を通さなくても、作品を公開するサイトにダイレクトに投稿すれば良いから出版社の必要性も無くなるよねという訳である。

 

唯一リアル書店のメリットである宣伝としての機能も、InstagramTwitterなどのSNSや、本のレビューサイト、ネット書店、等での代替も可能だと僕は思う。

 

 

手塚賞を目指す。

 

僕には将来の夢が沢山ある。

まず第一に、漫画家になりたい。これは一番譲れない夢だ。

漫画家は日本のメディアとしてはかなり強いので、日本で漫画家として名前が売れれば、世界の漫画などとも争える土俵が既に出来上がってて夢がある。

 

小説家にもなりたい。

漫画のフキだしの中で表すとダラダラしてしまうような物も、小説は文字が多いこと前提なので、程ほどなら読者に読んでもらえる。

登場人物の心理描写をするにあたっても、小説ほど向いてる媒体はないと思う。

 

映画の脚本家になりたい。

映画は漫画や小説とは違い、少ない時間で楽しめるのが利点だと思う。

少ない時間で楽しめるということは、多くの人にでも観られやすいという事だ。

ストーリーが終わりきるまでオチを推理されにくいというのもメリットだろう。

これは出来ればハリウッドでも成し遂げたい。

 

他にも企業やゲームシナリオ、ウェブ作成、漫画家の学校をつくる。宇宙旅行。お笑いのコント脚本。ゲストでラジオ出演。

挙げだしたらきりがないほどやりたいことが山ほどある。

 

今は一番好きな漫画に熱中してるが、他の夢も死ぬまでに絶対叶えようと思う。(というより、僕の理想の漫画家になれれば他は芋づる式に成功すると思う)

 

そんなこんなで僕は今、新人漫画賞のなかで一番メジャーな手塚賞を目指している。

 

別にここを通らなくても他にも手段はあると思うが、単純に“手塚賞を受賞した”という肩書きが欲しい。

そして、手塚賞受賞という肩書きを得てから期間をなるべく開けずに、読みきり漫画を掲載できれば、それが戦略としてはベストだと思ったのである。